中華のハナシ
西洋・中国の文化が日本・長崎のそれと絶妙に融和した「和華蘭文化」。その中でも一早く到着したのが、中国の文化です。大陸に近い西端の場所・長崎には、1600年代には既に中国から仏教の教えが届いており、文化の礎がここから組み込まれていたに違いありません。さらには、江戸時代の鎖国期はオランダと中国のみが入港を許されていたこともあり、長崎と中国との関係性は、さらに強固なものとなっていきます。1689年、元禄の時代には中国人居住区「唐人屋敷」が出島に造られます。ここに住む中国人は貿易商、いわゆる「華僑」ばかりでしたが、彼らが母国から料理人を引き連れて来ていて、中国人向けの中華料理店は、既にこの時代から存在してました。明治期に入るや否や、唐人屋敷にあった中華料理店が一般客にも料理を提供するように。これが長崎、いや日本の中華料理店のはじまりだと言われています。新地中華街は1600年代終盤に誕生し、現在は日本三大中華街のひとつに挙げられるように。長崎には以前より広東省や福建省出身の人が多かったそうで、その味をベースとした味わいと文化は、次第と長崎色に色づけされていきます。
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